ヘッダイメージ

歴史上の人物や戦いを解説する情報サイトです!

戦いに至るまでの経緯や戦況、人間模様を紹介。

見て楽しい動く布陣図などを公開していきます!


だから(↓ポチッと投票↓)

だから(↓ポチッと投票↓)

あなたは
どっち派?
1票 vs 1票

  • 浅井朝倉連合軍 50%
  • 織田徳川連合軍 50%
  • 織田を敵にまわすなんて…。
  • やられたら、やり返す!

姉川の戦い


皆さん『姉川の戦い』から何を思い浮かべますかね?『織田信長』が『浅井長政』に勝った歴史的事実より、私は「意外にも琵琶湖の東って、一大決戦の場になりうるんだな」ってトコが気になったりします。

そもそも『姉川古戦場』は滋賀県長浜市なんですが、あの『豊臣秀吉』が最初に築いたのが長浜城。その秀吉も、この地(賤ヶ岳)で勝利を収め天下統一への第一歩を踏み出してますし、『徳川家康』vs『石田三成』の関ヶ原もすぐ近くです。しかも、琵琶湖東岸地区には昔からたくさんのお城が…。

◎安土城:織田信長 - 近世城郭の原点
◎長浜城:豊臣秀吉 - 秀吉初めて一国一城の主に
◎小谷城:浅井長政 - 難攻不落の浅井氏拠点
◎佐和山城:石田三成 - 関ヶ原の戦い直前にも居た山城
◎彦根城:井伊氏 - 西国の抑えの城で国宝5城の一つ

実際に行ってみるとあの辺りってノンビリした町並みが続いているんですけど(スミマセン、自分はもっと田舎に住んでます)昔は今と違って交通の要所だったようですね。江戸もまだ、さびれた村であり、日本の中枢は京都。当然、汽車も自動車も無く物流といえば水運が主流でした(陸運が台頭するのは大正時代以降)。

陸運水運水運水運水運

今でこそ『太平洋ベルト地帯』なんてのがありますが、この頃はむしろ日本海側が運送の中心で、都に接する琵琶湖は外と繋がる重要な水路になっていたという事です(敦賀-塩津間のみ陸送)。だから、信長も琵琶湖を一望でき人の流れも確認できるあの場所に安土城を作ったんでしょうね(「なんでソコに築城しちゃったの?」って思いませんでした?)。

浅井氏


この琵琶湖の利権を統括していたのが今回の主役である『浅井氏』(話をやっと『姉川の戦い』へと結びつけれました)。発音は記録に残りにくいので諸説あるのですが、戦国大名の『浅井』は一般に『あざい(濁点)』と読みます。

代々、南近江の『六角氏』の勢力に押され争いが絶えなった浅井氏は、越前の『朝倉氏』と手を組んで北近江の支配力を維持していました。また、当主長政は尾張・美濃を掌握する信長の妹『お市の方』を妻に迎えて同盟関係を形成します。二人の夫婦仲は良好で、やがて長女茶々が誕生(この子が、後に秀吉の側室となり豊臣秀頼の母として大坂の陣を戦った淀殿ですよ)。
姉川の戦い
そんな仲むつまじいお互いの間柄とは裏腹に、浅井と織田は突然対立関係へと発展することに…。越前へ侵攻する信長、しかしそこを守るのは旧友である朝倉氏。織田をとるのか、朝倉をとるのか、家臣団の中でも意見が割れていたようですが…。結局、父親の意向もあり朝倉救援を選択した浅井氏は、攻め入る織田軍を挟み撃ちにする判断をしました。

朝倉朝倉浅井浅井秀吉織田

『姉川の戦い』に至るこの前哨戦こそが信長最大のピンチと言われる『金ヶ崎の退き口』であり、織田家へ突きつけた宣戦布告となったのです。妹お市の方がこの時、兄信長の窮地を知らせる為に『両端を結んだ小豆袋(前後を封じられてしまうという暗示)』を送った逸話は有名ですね。また、浅井の裏切りを察知し京都へ戻る信長軍の『殿(しんがり)』を務め、その手柄で名をあげたのが秀吉。一説には、後に天下を握る『明智光秀』『徳川家康』も一緒に敵の追撃を阻止していたとか…(そうそうたる指折りの重要人物が勢揃い!)。

復讐


足利将軍を擁立し上洛した信長に対し、朝倉・浅井…と次々に反旗を翻す勢力が続出してきます。これら包囲網が結託する反織田連合に信長は数年間苦しめられることになるのですが、まずは琵琶湖東岸を塞ぐ浅井氏をどうにかしないと京都への行き来すらままなりません(実際に、岐阜への帰還中に狙撃されかすり傷を負っています)。まぁ何と言っても、裏切られ絶体絶命の窮地に追い詰められた怒りが渦巻いていたでしょうね。
姉川の戦い
2ヶ月後、復讐に燃えた織田軍が、浅井氏の最前線の城を調略し行軍を開始します!南近江に在留し六角氏を撃破していた重臣達と合流し、ついに居城である小谷城下へ…。そこで信長は、浅井氏をおびき出すべく、城下町に火を付け姉川手前にある横山城を取り囲みます。

決戦


浅井軍8000には朝倉軍10000の援軍、織田軍23000には徳川軍6000の援軍、それぞれが到着。文献により違いますが、浅井朝倉連合18000 vs 織田徳川連合29000と人数差はあったみたいですね。

堅固な山城攻略で多大な犠牲を出すのではなく、まずは横山城を狙おうとする信長の術中に陥るかの様に、浅井は天然の要塞である小谷城から出陣します(横山城を奪われると、その先の出城が孤立してしまうという危機感もあったはず…)。
姉川の戦い
両者は姉川を挟み布陣。西側に朝倉vs徳川、東側に浅井vs織田と対峙した後、朝倉⇒浅井と次々に姉川を越えて兵を進め始めます。数的に見れば、西側は朝倉有利、東側は浅井不利という感じですかね。ただ、勢いに乗った浅井軍先鋒が織田軍を矢継ぎ早に討ちのめし(奇襲された説もあります)信長本陣にまで迫る活躍をみせました(13分の11段まで突破)。川が血に染まる程のかなりの激戦で、未だに『血川橋・血原』の地名が残っているそうで…(痛ましい光景が目に浮かぶなぁ)。
姉川の戦い
一進一退となっていた西側では、家康に忠誠を尽くす屈強な三河武士が本領を発揮します。伸びきった敵陣の側面を家臣に狙わせて、当主不在で士気が上がらない朝倉軍を敗走させる事に成功。一方、東側で苦戦する織田方では、横山城包囲部隊が浅井陣側面に襲いかかり大局が変化します。形勢は一気に逆転して敵軍は退却し『姉川の戦い』は織田徳川連合軍の勝利で幕を閉じました。

横山城磯野員昌浅井政澄阿閉貞征新庄直頼遠藤直経浅井長政真柄直隆真柄直澄真柄隆基朝倉景紀前波新八郎朝倉景健酒井忠次小笠原長忠石川数正榊原康政徳川家康丹羽長秀稲葉良通氏家卜全安藤守就坂井政尚池田恒興木下秀吉柴田勝家森可成佐久間信盛織田信長

この金星で、浅井家に甚大な損害を与えて京都へのルートを確保したとはいえ、当主も居城も健在のまま…。信長は、秀吉を入城させた横山城を足掛かりとし、長期的な視野で守りの堅い小谷城を落とす作戦をとっていくことにします。しかしその後、足利将軍までもが不服を唱え始め、信長包囲網は更に強化され苦しい立場に…。

織田と浅井の関係は修復不可能になりましたが、浅井当主とお市の方の仲は変わらないまま(普通、離縁とか、最悪殺されるとかですが…)。二人の間には三姉妹がいるのですが、三女(後の徳川秀忠妻、家光の母ですよ)が生まれたのは3年後に浅井氏が滅亡する直前。敵信長の妹という身の上だったとしても、ずっと愛されていたんですね。

ちなみに、滅ぼした浅井親子と朝倉当主の頭蓋骨を、信長は髑髏杯にして酒を振る舞ったという話がありますが、生き延びたお市の方はそれをどう思ったんでしょうか?戦国時代とはいえ、切ないエピソードです…。
前へ