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- 家康の集大成
- isida
石田三成が好き
有名
合戦規模
過去、日本各地で行われた戦いについて、どれくらいの『規模』での武力衝突だったのかが気になったので色々調べてみました。いくつかの合戦の記事を書いていくと「こっちの紛争の方が大掛かりだったんだな」などと思うことが出てきたのですが『規模』について一つにまとめられたものってほぼ無いんですよね。…なので、この際自らがスケールを比べて、ここに一覧として紹介することにしたというわけです。
やはり、わかりやすい比較対象は、参戦した人数でしょうかね?そこで、今回は「両方の軍勢あわせて何名か?」という基準を使って、多い順に書き出します(たいていの場合、数には諸説あり余分に盛られているのですが、それを承知のうえで最多レベルのものをピックアップしていきます)。
ランキングを発表する前に少しだけ…。例えば、〇万人といわれても、あなたならこの集団をどう想像しますか?東京ドームの集客人数(55000人)?なんか、広さをあらわす時に引き合いに出されますよね、東京ドーム何個分って…。新国立競技場だとすると、68000人です。「あの観客が二手に分かれて対決したんだな」みたいに考えれば、イメージしやすいのかなぁ…。
私は、住んでいる地域の人口を連想したりします。「うゎ、地元の市民全員が戦いに駆りだされたのかよ!」とか。いかがでしょう?まぁでも、人それぞれの思い浮かぶやり方でいいのではないでしょうか?「コミックマーケット」に行く人なら、その参加者数とかどうですか?ただ(連日の合計で)50万人を越えるかなりの規模で、逆にわかりづらいかもしれませんが…。
トップ3
上位からなので、いきなり首位である最多人数の合戦の発表になります。なかなか思いがけない結果になりましたよ。以下、乞うご期待!■1位 【元弘の乱】
総勢61万(反幕府勢力60万7000 vs 鎌倉幕府15000)
新田北条
意外ですが、鎌倉幕府滅亡『元弘の乱』のトドメの一撃『新田義貞の鎌倉攻め』が、1位です。『太平記』という軍記物語に記述があり誇張された大軍勢だといわれていますが、ここではそれを織り込んだうえでランキングしています。同じく『元弘の乱』の中には『千早城の戦い』の200万(太平記に記載)がありますが、実際は2万5000くらいとのことなのでさすがに省かさせてもらいました。『新田義貞』知ってますか?日本史の授業で習いましたよね?武士を統率する源氏の家系で鎌倉時代後期から歴史を動かしていく重要人物ですので、もう一度復習しておいて損はないです。『鎌倉攻め』をしようと、群馬県太田市あたりを出発した最初の兵の数は150。それが、鎌倉に到着した時には60万というのだからちょっと疑っちゃいますよね?戦いに勝利し北条氏が自害したのは間違いないので、義貞が約150年続いた鎌倉幕府を滅ぼしたというのは事実です。それが、挙兵してからわずか2週間後の出来事…。そんなすぐにこれだけの大軍になるのか?
■2位 【建武の乱】
総勢55万(新田楠木軍5万 vs 足利軍50万)湊川の戦い
総勢32万(新田軍7万7000 vs 足利軍24万)箱根・竹ノ下の戦い
総勢30万(新田軍10万 vs 足利軍20万)豊島河原合戦
足利新田
次点は前述『元弘の乱』に続いて起こった『建武の乱』でした(湊川の戦いは50万越え)。この中のほとんどの戦いは『太平記』でまたしても戦力が脚色されているのかもしれませんが「真実か否か」という追及はもうやめましょう。『建武の新政』はご存知でしょうか?出ましたよねぇ、テストで…。簡単に説明すると「討幕運動に呼応した足利氏・新田義貞によって鎌倉幕府が倒された後の、天皇自らひとりですべての決定を行おうとした無茶な専制政治」のこと。この政治制度に呆れて離反した足利氏と、そのまま天皇に仕えた新田義貞との一連の戦いが『建武の乱』です。同じ源氏家系のライバル対決で、最後には足利側が勝利して室町幕府を興すことになり決着がつきました。
■3位 【奥州合戦】
総勢45万(鎌倉政権28万4000 vs 奥州藤原氏17万)
頼朝藤原義経
この人数も相当怪しいのですが『吾妻鏡』という歴史書に書かれているので3位としています。源頼朝が奥州藤原氏を討伐した戦いですね。直前には、逃亡し平泉に潜伏していた源義経を(朝廷の権威を使い)奥州藤原氏自身に襲撃させ自害に追い込ませています(ハメ方がえげつない!)。全国に動員をかけて鎌倉方との主従関係をハッキリさせたという意味で、数に信ぴょう性が無いとしてもこの奥州討伐には各地から相当の兵が集まったと思われます。
ベスト10まで
トップ3、いかがでしたでしょうか?ちょっと予想外でしたよねぇ?ここからは、知名度のあるのが並んできますので安心できると思います。それでは、続いて4位をどうぞ!■4位 【大坂 冬の陣】
総勢30万(徳川軍20万 vs 豊臣軍10万)
やっとメジャーな合戦がランキング入りしましたね。秀吉が死んで16年。家康の人生最後の総仕上げとして、依然勢力を持つ豊臣家に対して仕向けた戦いです。大坂城の出城である真田丸など攻略に苦戦した後、堀を埋め立てるという和議で停戦しました。
■5位 【小田原征伐】
総勢28万(豊臣軍20万 vs 北条軍8万)
こちらは、秀吉の天下統一直前の小田原城攻めです。抵抗する北条氏に対して集めた戦力が20万。大坂の陣でもそうでしたが、全国津々浦々から兵を招集すると、だいたいこれくらいのトータル数になるんででしょうね、きっと…。
■5位 【応仁の乱】
総勢28万(東軍16万1500 vs 西軍11万6000)
様々な要因が絡みあい諸国の守護大名が東西に分かれて戦うことになった動乱です。『小田原征伐』と同じ28万なのですが、戦闘が無かった籠城戦と違ってコチラは実際に11年にもおよぶ闘争が繰り返されていました。京都の町が荒廃し将軍の権威が失墜したことで、戦国時代が始まるキッカケとなった内戦ですね。
■7位 【九州平定】
総勢27万(豊臣軍21万 vs 島津軍6万)
九州のほぼ全土を勢力下に治めつつあった島津家と勢いづく秀吉の真っ向勝負の戦いです。時期的には、秀吉の『小田原征伐』の前ですね。結果は島津軍の敗北なのですが、交渉のすえ本領の薩摩は安堵されています。島津って不思議な家で、関ヶ原の戦いでも敵側だったのにそこでも領土没収されずに済んだんですよね。鎌倉幕府御家人→守護→守護大名→戦国大名…、脈々と維持し続けて滅ぶことなく明治維新の立役者となるわけですから、大したもんですよ。
■7位 【大坂 夏の陣】
総勢25万(徳川軍20万 vs 豊臣軍5万)
『冬の陣』後の翌年、大坂城の堀を埋め立てた家康が、再び豊臣家を滅亡させようと起こした戦いです。冬より夏の人が少ないのは、不利な豊臣方の武士が見切りをつけたから…(まぁ、そりゃそうですよね)。この覇権争いの結末を最後に、戦国時代は終わりを告げることになります。
■9位【長島一向一揆】
総勢22万(本願寺10万 vs 織田軍12万)
お寺といっても、宗教を拠り所にした武装集団ですね。現代にも世界にはありますからね、こういう組織(たぶん、似たような団体かと…)。3度にわたる猛攻の末にやっとのことで制圧したという恨みがあるようで、信長の残忍さを物語るエピソードで有名な一揆です。徹底した包囲作戦によって門徒の過半が餓死、降伏し船で退出するところを銃撃、さらに2万人の男女を柵内に押しこめ焼き殺したそうですよ(ひぇ~)。
■10位 【承久の乱】
総勢19万(鎌倉幕府19万 vs 朝廷?)
始動した武家政権の基礎が着々と確立していく鎌倉幕府に対して、上皇が討幕の兵をあげた事件ですね。約1ヶ月で朝廷方は敗北。上皇は島流し、公家方の所領は没収、監視のための六波羅探題設置など、この戦いで幕府の絶対的優位が確立しました。
番外編
なかなか出てこないですよね?例のアレ…。実は、次の11位でやっと登場します。ここからは、主だった合戦のリストとなってます(説明は省略させていただきます)。
■【関ヶ原の戦い】
総勢18万(西軍8万 vs 東軍10万)
■【紀伊高野山制圧】
総勢17万(織田軍13万7000 vs 高野山3万6000)
■【島原の乱】
総勢16万(徳川軍12万5800 vs キリスト教徒3万7000)
■【源平合戦】
総勢16万(平家10万 vs 源氏6万)
■【長州征討】
総勢15万(江戸幕府15万 vs 長州藩?)
■【小牧・長久手の戦い】
総勢13万(秀吉軍10万 vs 織田徳川連合軍3万)
■【西南戦争】
総勢10万(明治政府7万 vs 旧薩摩藩士族3万)
■【長篠の戦い】
総勢9万(織田徳川連合軍7万 vs 武田軍2万)
■【賤ヶ岳の戦い】
総勢8万(秀吉軍5万 vs 柴田軍3万)
■【山崎の戦い】
総勢5万6000(秀吉軍4万 vs 明智軍1万6000)
合戦規模のランキング、参考になってでしょうか?今回は『元寇』『秀吉の朝鮮征伐』は国外勢力との対戦ですので(順位的には上位なのですが)除外しました。ココに出てくるそれぞれの戦いは、他のページで詳細に紹介していますので、メニューから探してみてくださいね。