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    最後の戦い
    ご冥福をお祈りします
  • 🇺🇸が🇯🇵をもう一度🧺してくれる
    フレー、フレー、アメリカフレフレ、アメリカがガーガー
    🇯🇵を🧺して
    フワァイト
    🇺🇸
    変換大和じゃなく戦艦大和だろ
    変換大和ってなんだ
    大日本帝国なんてやっつけて
    プレーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーフレーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーアメリカ、フレフレアメリカゴーゴーゴー
    もっとアメリカ🇺🇸を応援📣
    日本を洗濯🧺して
    岸田総理の馬鹿(元)

坊ノ岬沖海戦


1945年(昭和20年)4月7日、坊ノ岬沖213kmで『戦艦大和』は沈没(生存者276名/乗組員3332人)。その4ヶ月後、原爆が広島(死者140000人)と長崎(死者74000人)に投下され、日本は降伏し第二次世界大戦は終結することになります。

一体なぜ、このようなやるせない運命を辿らなければいけなかったのか?私の両親の親族にも戦死者は居るので、いつも書いている戦国時代や幕末よりもずっと身近な戦いであるのは確かです。今回は、その太平洋戦争の出来事を『大和の最期』の瞬間に向けてまとめさせていただきますね。

その前に…。この時期の話をするうえで、どうしても『命の大切さ』というものを考えずにはいられません。大戦末期には『神風特攻隊』なる部隊も投入されて、命に代えてまで敵を打ち負かす事が優先されました。『永遠の0』という映画はご覧になられましたか?まさに、自分の命と家族がテーマになっていて、見ててもう無茶苦茶心苦しかったです(私の中の邦画No.1)。戦時中『大和魂』が正義とされ、妻子の為に命を大事にするなんてことはタブー視されていました。兵士はもちろん、誰もが「お国のため」と言って『一億玉砕』も覚悟の上だったといいます。
坊ノ岬沖海戦
今日、日本は平和になりました。江戸時代も長らく争いの無い世の中でしたが、それ以前は他人の命なんてホント軽く扱われています。命の重さは、時と共に変わるものなのです。だからこそ、この平穏を守る為に(何ができるかは関係なく)自分の中にはある種の信念を持ち続けておくべきだと思うのです。ひとりひとりの揺るぎない想いさえあれば、現在の平和は維持されるものと信じています。

大艦巨砲主義


始まりは、まだ明治だった時代の日露戦争『日本海海戦』勝利でしょうね。鎖国を解いて50年足らず…。小さな新進国でしかない日本が、列強の大国であるロシアのバルチック艦隊に完勝します。欧米から遠いアジアで起こったこの神がかった大事件は世界を驚愕させました。…が、同時に戦艦同士の戦いを至上とする『大艦巨砲主義』を大日本帝国に根付かせることになってしまうのです。

相手の射程外から砲撃できる、大口径の主砲を搭載した巨大戦艦。軍令部で受け継がれた旗艦を軸にした艦隊構成の方針は、軍備計画の転換期を迎えても柔軟性を欠いてなかなか変わらなかったと言われています。代表的なのが『航空機の有効性』ですね。太平洋戦争の開戦となった航空機による『真珠湾攻撃』の奇襲。実際に、この作戦を立てて実行したのは日本人でした。
坊ノ岬沖海戦
圧倒的な運動性能を持つ零戦を始めとする戦闘機での爆撃は、アメリカ軍艦隊に大打撃を与え半端ない戦果をあげます。これこそが「艦隊決戦の時代が終わりを告げて航空機が主力になる事」を意味していたのですが、自身で起こした革新にもかかわらず日本はこの成功を生かしきれませんでした。

もちろん、この節目に敏感な人も大勢いたでしょうね。ただ、対峙するアメリカ経済の1/10しかない日本には、変化できるほどの余裕はありませんでした。無理して造船する艦艇や維持費用は高額で、新たに空母や航空機を増産できるほど、この国は裕福ではなかったのです。

性能


プライドを掛けて大日本帝国の持てる国力を結集した『大和』は、性能の面で何もかもが突出していました。その製造費は、一隻で国家予算の3%!史上最大である46cmの主砲が3基9門(2位が40.6cm、3位が38cm)。64,000トンという排水量は、戦艦の中で未だダントツ1位ですね(2位が49,000トン、3位が43,835トン)。
坊ノ岬沖海戦
量より質の道を選んだ日本は、主軸となるこの大和型戦艦を三隻製造します。二番艦が『武蔵』で、三番艦が『信濃』です(あまり知られていませんが『信濃』は途中で戦艦→航空母艦へと設計変更され、未完成のうちに潜水艦の魚雷攻撃で沈没しています)。

日本海軍の基本戦術は、大口径の主砲で相手戦艦を大破させることでした(戦艦同士の果たし合い)。その戦艦を守るため、支援する防空艦が取り囲み、空母は先行して航空魚雷で敵艦隊の戦力を前もって目減りさせるという手段です(または、後方で艦上機による制空権を確保する役割)。

そんな構想の中心となる大和が完成したのは、皮肉にも、航空攻撃で敵艦隊を壊滅させるまでの結果を出した真珠湾攻撃の8日後…。期待を一身に受け、有り余る性能を保有していたにもかかわらず、その巨大戦艦の前途には暗雲が立ちこめる事になってしまいました。
坊ノ岬沖海戦
前途多難といえば…。『宇宙戦艦ヤマト』の発進場面も幼い頃ドキドキしましたよ(突然こんな話、すみません)。汚染され干上がった坊ノ岬沖の海底から、波動エンジンを搭載し生まれ変わったヤマトが宇宙に飛び立っていく名シーン。当時の日本人も、同じような期待感を戦艦大和に持っていたんじゃないのかな?と思いますね。

海戦


大日本帝国の連合艦隊旗艦となった大和の初戦は、ハワイ諸島北西でのミッドウェー海戦となりました。短期決着(長期になると国力の差が現実化して不利になってしまう)によりアメリカの戦意を喪失させようと、日本海軍は艦船をミッドウェーに集中させることを決めます。
坊ノ岬沖海戦
この日本の計画は、暗号解読によってアメリカに筒抜けでした(目標海域も囮情報に誘導されてバレちゃっています)。また、先の真珠湾攻撃で敵航空母艦だけ取り逃していて、更に「島の占領?」「アメリカ海軍の殲滅?」のどちらの目的が優先されるのかハッキリしていないという欠点を日本は抱えていました。領土をハワイ近くにまで拡げるのは無謀なので、意図としては「神出鬼没の敵艦隊をおびき出して、大和を中心とした大日本帝国海軍が叩く」というシナリオが筋だと思うのですが、軍令部では「島攻略」を指示しています。

日本の最前線部隊の空母4隻は、任務通りミッドウェー島を爆撃。二次攻撃の為、待機していた航空機の装備を陸上用爆弾に付け替えていたところ…。行動を察知した敵空母部隊が突如襲来し、航空魚雷への再換装と一次攻撃の帰還機でごった返している日本側の空母を全滅させてしまいます(何もできずに散った優秀な搭乗員と艦上機の損失は、新しい時代の主軸となる航空戦力の弱体化を意味しました)。この前線の崩壊で作戦は中止、後方の本隊に配備されていた大和に出番はありませんでした。
坊ノ岬沖海戦
次が、日本から6000kmの彼方で繰り広げられたガダルカナル島での激戦になるかと思います。飛行場を取り返すため無謀な進撃や兵士の増援が繰り返され、挙げ句には物資不足で孤立させてしまうという大日本帝国敗戦への転換点となった戦闘ですが、またもや大和は不参戦でした。敵基地への艦砲射撃案はありましたが、危険度の高さから温存…(「標的は艦船であるべき」という旧来の固執も根強くあった様です)。また、ソロモン海戦という軍艦対決にも出し惜しみ(有利に戦えない狭い海域や燃料不足など)となり、その待機する様子を「大和ホテル」と比喩されています。

結局この後、起用しづらい大和には輸送任務などが与えられ、出番が回ってきた頃には戦争も終盤となっていました。史上最大規模の空母対決となった『マリアナ沖海戦』の脇で、初めて実戦での主砲を発射した(戦果は不明)というくらいですから、もう何か「取り残された感」が滲み出ちゃってますよね?軍事力の差でこの空中戦に惨敗した日本は、以降アメリカ軍に空の覇権を完全に奪われることとなってしまいます。
坊ノ岬沖海戦
後の無い日本は、残存艦艇の全てをつぎ込み総力を上げて『レイテ沖海戦』に挑みました。制空権を失い無用の長物となりつつあった戦艦大和に訪れた最初で最後の晴れ舞台?だったのかもしれませんが、敵航空機からの集中攻撃をうけて共に航行する姉妹艦武蔵が沈没。空襲をくぐり抜け敵空母部隊へ砲撃した大和でしたが、目標到達の直前でなぜか突然の反転?!?この謎のUターンにより作戦は成し遂げられず、大和は消化不良のまま帰路につくことに…。

沈没


この時点で大日本帝国の軍隊組織は崩壊しているも同然であり、大和にはただ特攻という華々しく散る自滅の決定が下されるのでした。沖縄に座礁して砲台となる計画ではあったものの「一億総特攻の魁となる」考えが提示され、乗組員には「海上特攻隊」である本質が伝えられています。

桜が潔く散る春の光景を、麗しく思う日本人の気質なんでしょうかね?「死を決意して、なお立ち向かっていく姿を美化したい」。そんな習性が誰の心の中にもあると思います(私もそうです)。でも、特攻は死ぬのが前提なのです、100%です。美しさを隠れ蓑にしたこの任務が、実は悲惨なものだという実像を見分けていただきたい。また、今後そんな事をさせる体制にだけは絶対にしてはいけないのだという気持ちを、皆さんと共有できたらいいな…と感じます。やはり、平和は大事ですよ。

大和は、自身の生まれた呉(広島)の港を出て沖縄に向かいます。その動きを察知したアメリカ軍は、案の定、航空戦力である空母部隊に迎撃を命じました(最期くらいは、戦艦同士の一騎打ちをさせてあげたかったですが…)。九州坊ノ岬沖で、空母12隻から飛びたった多数の敵機と遭遇。急降下爆撃を受ける大和には、護衛する味方の機体はありません。ただただ防戦一方という情勢に陥った巨大戦艦と、そこに群がる航空機…。まるで、時代の波を象徴したかの様な組み合わせですよね。

大和

厚い雲に阻まれて対空砲火は狙いを絞れず、主砲も打てません。敵機の放つ魚雷は、やがて大和の船体を傾けます。注排水システムの作動により一時は平衡を取り戻しますが、左舷に集中する魚雷により、その注排水システムが限界を越え…。バランスを取り戻すことができなくなってしまった大和は、さらに何発もの魚雷を左舷に受け傾斜を大きくさせました。長官により、特攻作戦中止が発令。その後、大和は横転、大爆発を起こして沈没するのです。

戦争は人々を不幸にしてしまいます。戦艦大和の意味って何だったのか?特攻とは?どうして日本は戦争を始めてしまったのか?なぜ敗戦に追い込まれてしまったのか?この記事を最後まで読んだついでに、今一度いろいろ調べてみるのもいいかもしれませんよ…。
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