ヘッダイメージ

歴史上の人物や戦いを解説する情報サイトです!

戦いに至るまでの経緯や戦況、人間模様を紹介!

戦術等 見た目を分かりやすく公開していきます。


だから

だから
あなたは
どっち派?
0票 vs 0票
  • 平家 50%
  • 源氏 50%

壇ノ浦の戦い


栄華を極めた『平家』が『源氏』に滅ぼされた『壇ノ浦の戦い』を記事にしてみたいと思います。年代としては、この戦いの幕切れが平安時代を終わせて『源頼朝』が次の鎌倉時代を開こうとする、そんな頃。朝廷(天皇・貴族)→ 幕府(武士)の世の中へと様変わりする 転換期にあたります。私自身、正直 戦国時代より前って勉強不足であまり分かってないんですが、この辺の『平家滅亡』やそれに伴う『源義経』の半生はよく知られた歴史なので 何とかなりそうかなと…。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ。

お馴染み『平家物語』の冒頭ですが、何だか切ない文章ですね。意味としては「世の中は変化していくものだから、今は栄えていてもやがて夢や塵みたいに無くなってしまうのだよ」という感じ。平家も活躍したのは、たったの20年程度でしたから…。
壇ノ浦の戦い
この『諸行無常』ってのは、「全てのものは常に変化し続け、変わらないものは無い」という仏教の大切な教えの一つですね。人はいつか必ず死ぬし、物だっていつかは壊れる。だから、生や物質(もちろんお金とか)に執着せず、また失った時の悲しみにとらわれるのではなく受け入れて、そういった状況に対してどう感じて どうしようとするのか?が大事であると…。例えば、人間関係や自分自身だって 変化してしまうからこそ、今出来る事を精一杯やろう(頑張った今が、その先に続く変化を 良い方向へと導いてくれるだろう…)。そんな悟りみたいな摂理です。

『平家物語』より先に書かれた『方丈記』の冒頭にも、この無常観を言い表している有名な一説がありますね。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

コチラは、水の流れと泡に例えてますが、これまた哀愁が満ち溢れたフレーズですね。とにかく、こんなにも変化する社会の真っ只中にいるのだから、我々は『諸行無常』を胸に秘め 今をただ ひた向きに生きていくしかないのかな?と思います。
壇ノ浦の戦い
これ以上の押し付けをこのまま書き綴っていくと説教臭くなってしまうので、この辺で止めておきますね。まだ『壇ノ浦の戦い』の話に入っていけてないですし…。

平家の繁栄


『平氏』の一つで『平清盛』に繋がる血筋の中央政権を牛耳った一族が『平家』です。『壇ノ浦の戦い』は平家が滅んだ出来事ですから、その前の大躍進と その平家を追いやった『源氏』に目を向けておきましょう。

まずは、大河ドラマにもなった『平清盛』(私は見てないですけど…)。一門の第一人者で、平家の絶頂期を築きあげた男です。棟梁として『保元・平治の乱』でライバル達を討ち倒し出世。国外との貿易で莫大な利益を生み出しつつ 身内を天皇家に嫁がせた清盛は、国のおよそ半分をも支配し独裁体制を作り上げました。

次に『源頼朝』、源氏側の中心人物。この人のお父さんが、先ほどの『保元の乱』で清盛と味方同士でした。共に勝利するも 恩賞の差に不満を抱いていた様子で、続く『平治の乱』で その清盛とは敵対します。若い頼朝(13歳)本人も出陣(鎧着て座ってただけです)するのですが、戦いに敗れてしまって逃亡の末 捕らえられます。ただ、清盛の母親からの助命嘆願(「亡き息子に似ているから」との理由)で 伊豆への流刑で許されました。ここで生き延びた事が 後に平家の討伐へと繋がっていくのですから、何とも皮肉な運命ではありますね。

そして、頼朝の弟『源義経』。『平治の乱』では数え年2歳(牛若丸と名付けられています)。母親と共に逃げ、後に 鞍馬寺 → 奥州平泉と転々としていきます。京都の五条大橋で 武蔵坊弁慶と出会った話は、あまりにも有名ですよね。平泉に居る時に、頼朝が挙兵したと聞き すぐに駆けつけて兄との感動の対面を果たしました。そういえば、義経も大河ドラマやってましたね(またしても、見てないのですが…)。
壇ノ浦の戦い
『保元の乱』で源平2氏が武力介入してその実力を示すと、天皇や貴族が中心だった時代から武士の時代へと移り変わっていく事になりました。そして『平治の乱』で平清盛が源氏らを破り、その勝者の平家が中央政権に進出していったという流れです。

絶大な権力を握り貴族化していく清盛率いる平家一族、その弟が言い放った言葉が「平家にあらずんば人にあらず」。もう天狗になり過ぎて 周りが見えてない状態、こうなってしまうと快進撃も終了…。次第に清盛に対する周囲の反発が表立ち、少しずつ歯車が狂い始めていきます。

150年前、『藤原道長』も同じ様に自らを誇示する「この世をば わが世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」という横柄な歌を詠んでますね。娘達を次々と天皇に嫁がせ(長女『彰子』に仕えていたのが紫式部)「この世は自分の物で 足りないものは何も無い」と人生を謳歌していた藤原氏の勢いも、徐々に弱々しくなっていきます。時代は栄枯盛衰を繰り返すのですね。まさに『諸行無常』。
壇ノ浦の戦い
清盛も、妻の妹と天皇の間に生まれた皇子に娘の徳子を嫁がせるなどして、朝廷と結び付いていきます。そして、生まれた子を3歳にして天皇に即位させ、皇族の地位や権威を独占して利用しようと画策。この天皇が『三種の神器』と共に入水した『安徳天皇』になります。

平家の衰退


衰退への発端は、当時 院政を布いていた法皇の妻(清盛の妻とは姉妹)が亡くなった事にあります。調整役が居なくなり、法皇と清盛の対立が表面化。拠点としていた『福原(現在の神戸)』から大軍を連れて京都に入った清盛は、軍事独裁という形をとり 法皇を幽閉させてしまいます。

そして、この時、所領を没収された法皇の第三皇子が「打倒平家」を宣言して挙兵。計画は発覚しすぐに制圧されてしまうのですが、この号令が復讐に燃える源氏一族を一斉に武装蜂起させる引き金となりました。

清盛の独断で 思い入れのある『福原遷都』を実現するも、兵を挙げた源氏の問題に取組む為 わずか半年で京都に戻らざるをえなくなります。膨れ上がった源氏勢力。対する『富士川の戦い』では、水鳥の羽音に驚いて逃げ帰るという大失態…。この敗北が他の地域の反乱を誘発し、平家は滅亡への道を歩んでいくのです。
壇ノ浦の戦い
寺社勢力も含め、各地で反乱勃発!更に、奈良へ派遣した部隊が寺や大仏を焼失させ『仏敵』の汚名を着るはめにも…。平家がこんなピンチな状態に陥っている時に、よりにもよって清盛は熱病で死去!!

壇ノ浦


清盛の後を継いだのは三男の『宗盛』でした。ただ残念な事に、この宗盛、他の兄弟より出来が悪いという評価。兄達2人が死んでいるので序列で棟梁となります。…が、やはりもう どうにもならず八方塞がりの事態に陥り、平家一門は『安徳天皇』と供に『三種の神器』を持って都落ちします(この時、法皇を取り逃がし同行させれなかったので、官軍では無いです)。

一時は福原まで勢力を復活させた平家ですが、義経の奇襲により『一ノ谷の戦い』『屋島の戦い』と連敗。後退した平家は、遂に『壇ノ浦』へと追い詰められる事に…(九州も源氏に抑えられているので、逃げ場無し)。

壇ノ浦の戦い


ヘイケガニ。海に沈んだ平家一門の亡霊が乗り移り、怒りの表情が甲羅の模様になった。

落ち武者、八つ墓村平家じゃないけど。
おどろおどろしくて、子供の頃怖かった。